google-site-verification: google039a45cabac89534.html ロックのろ |スペースとしての空間

ロックのろ

音楽バカが適当に綴る雑感ブログ。

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「起きて半畳寝て1畳」と、なんだか硬派な感じのする言葉がある。でも、一人の人間が使っているスペースなんてそんなものだ。「住まうということ」を考えたり、「心からリラックスしたい」と考えるなら、もっと広いスペースが必要だ。だが、ぼくらが存在しているスペースは、イメージしているよりも実際はずっと狭い。

狭いところにいても、目をつぶって、沖縄の海や白神のブナ林をありありと想像できれば、「心だけは雄大で豊かな自然環境の中にいるも同然だ」などと、悟りに近い心境に至れるのかもしれない。揺るぎない内側の世界をしっかりと構築できていなくとも、物思いに耽ったり、推理小説を読んでいたり、マスターベーションをしていたり、なにかに集中している時は、対象と意識以外のことはあまり気にならない。そう考えると、必要なのは「対象と自意識が集中できる環境」であって、広いスペースや美しい環境ではない。


何も持たない野宿は辛い。でもシュラフがあれば随分と楽になる。テントを張れればいうことなしだ。自意識と外界を隔てるものが、自分の体だけという状況は開放的過ぎて休めない。自意識と現実の間に、クッションとしての壁が必要なのだ。壁の外は全くの現実であり、壁の内側は、自意識を守るための要塞のような空間。

煮詰まってイッパイイッパイの時には野宿が苦にならないことがある。自分を解放したいからだ。煮詰まってイッパイイッパイで自分の殻に閉じこもりたい時、一歩も外に出たくない。外界との接触を経ち、弱った自分の世界を守りたいんだ。

時間は外界で流れている。バイオリズムとして自分の体内にも時計はあるが、それは生き死にの生物としてのリズムであり、社会のリズムとしての時間ではない。自分の世界にいる限り、社会のリズムとは無関係だし、想像している時や夢を見ている時には、時間も空間も未来も過去も関係ない。ただ勝手に時間の方が過ぎ去っていっているだけ。

時間は平等に流れている。しかし、社会のリズムとしての時間と、個人の世界における時間の流れ方は、まるで違う。「起きて半畳寝て1畳」と言い切れるほど内向世界を絶対的に構築できれば、いくらでも社会に対してオープンになれるのだが。なかなか難しい。だからこそ、個人のプライベートなスペースが非常に重要になる。

時間も空間も、同じ地球上に存在しているのだが、時間の流れ方が異なる、個人的な空間が、人間の数だけ存在している。考えることが大好きで、自分の中にいる時間が長いほど、現実の中でタイムラグが生じる。

「起きて半畳寝て1畳」という言葉には、社会のリズムとしての時間からの価値観しかない。だからそこには個性や人間の心を無視したスペースの広さしかない。絶対的な社会の時間の中にいながら、揺るぎない個人の世界を構築できない凡人には、絶対的な広さではなく、壁のある個人的な空間が必要であり、「起きて半畳寝て1畳」なんてのはよっぽどでないと無理だ。

空間には、ちょこまかと、ありとあらゆる都合で区切られた不思議なスペースがある。空間を区切るには、三角点などの座標的な場所としての区切りだけではなく、時間、個人、社会、といった区切り方も考えなければならない。

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